2006年03月31日

奥田政夫先生という人

「♪空お越えて〜♪」という出だしで始まる鉄腕アトムの歌、ボーイソプラノの合唱団がこの歌を歌っていることを記憶している人も多いはず。

奥田先生と私が初めて出会ったのは私が小学校4年生のときでした。夏休みの間の10日間私は地元の青少年団体が主催するサマースクールへ行くことにしました。そのサマースクールは子供たちが町を作り独自の紙幣を流通させるという画期的な企画で全国紙や雑誌、TVなどが取材に来るというある意味全国に名の知れたサマースクールでした。全国から子供たちが集まってきました。そんな中、東京から何人かの子供を引き連れやってきていたのがこの奥田先生でした。それからそのサマースクールに何年か通い、夏ごとにお会いする先生ともひたしくお付き合いさせていただくようになりました。学生の時なんか東京に行くといつも泊まらせてもらってました。先生の家は当時2匹のビーグル犬(つがい)を飼っていて、生まれた幼犬を新幹線に乗って頂きにお伺いしたりもしました。(そのビーグルはうちの実家で18年近く生きて数年前に永眠しましたが)

上高田少年合唱団イメージ.jpg

奥田先生は有名な先生でした。本職は小学校の教諭。先生は東京第二師範学校(現・東京学芸大)を卒業して東京都立上高田小学校に赴任、校内で男の子ばかり集めた少年合唱団を結成。真撃的な指導が功を奏し、その合唱団は名だたる音楽コンクールで全国一位を獲得するまでに成長させました。そのご師範学校時代の先輩の依頼で1957年「赤胴鈴之助」の録音。これを契機にこの上高田は放送やCM曲の録音に引く手あまたになっていきます。
はその後 奥田先生による「上高田少年合唱団」が主題歌を歌った番組は40以上、CM曲は100曲を超えるといいます。「鉄腕アトム」「僕らは少年探偵団」「ビックX」「スーパージェッター」など。

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遅くなりました。ここからが本題です。その我らが奥田政夫先生が3月24日に東京ビックサイトで行われる「東京国際アニメフェア2006」で日本のアニメの音のパイオニアとして特別功労賞を石原東京都知事から表彰されるというのです。私は「この表彰式の写真を是非撮らせてください。」とカメラマンを名乗り出て、3月24日を迎えました。表彰式の先生はちょっと緊張気味。最後の石原都知事を囲んでの記念写真でも、ちょっと怖い顔。「先生、もっとにっこり笑って、笑って!!」の私の掛け声に先生も気がつき、笑顔が・・・!(その時石原都知事もこっちを見てなんじゃこの兄ちゃんはって顔してました。でもそんなことお構いなし。)

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奥田先生、この度は特別功労賞おめでとうございました。
これからもますますお元気でお身体にご自愛ください。
先生のハイセンスのダジャレこれからも楽しみにしてます。

大亀京助
posted by フロイネッツ at 18:53| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月21日

親友、トニー須田

この人、私の親友の一人です。中学1年生のとき始めて同じクラスになった彼は3学期のとき父親の仕事の都合で横浜に転校して行きました。なにかフィーリングがあったのでしょう。一緒のクラスで学んだ時間は短期間でしたが、その後腐れ縁となっております。ちなみに彼と私は同じクラブでした。陸上部。誰に言っても今の私の体型からは信じてもらえませんが…

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アントニオ・ガウディー建築サクラダファミリア前でのジャンプ
バロセロナにて 1984年

彼との距離が再びぐ〜んと縮まったのは1984年(当時私は大学4年生)の40日間のヨーロッパ貧乏旅行でした。ユーレールユースパス(このパスを使うと当時は西側ヨーロッパ諸国を鉄道で自由に旅ができた。もちろん2等車のみ)を使い15カ国近く廻りました。今 思い出してもいろいろな経験ができ楽しい旅でした。そのとき、彼をモデルに撮った写真を紹介します。

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創刊間もない「地球の歩き方を」片手に
当時は国別ではなくヨーロッパで1冊の本だった
グエル公園 バロセロナにて 1984年

あの旅行で国際観が養われたかどうかは不明ですが、その後彼は大学を卒業し、単身アメリカに渡りました。そして現在グリーンカードを取得した新婚の彼が、青い目をした嫁さんを連れ来週日本に里帰りします。

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エッフェル塔前 パリにて 1984年

十年ぶりに再会できることが今から楽しみです。特に新妻に期待が膨らみます。このカップルをまたブログで紹介できたらと思っております。

大亀京助

p.s 須田へ、無断で写真載せたからって怒らないよう。帰国を楽しみにしております。

posted by フロイネッツ at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月13日

決定的瞬間

「地球最後の楽園・GALAPAGOS」本日3/13よりキヤノンギャラリー札幌にて3/24まで開催しております。この個展の巡回展も後半戦に全国のたくさんの人に見ていただきたいと思っております。お近くにお寄りの際は 是非お立ち寄りください。
詳しくは「地球最後の楽園・GALAPAGOS」公式サイトまでhttp://www.freunatz.com/galapagos

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地球最後の楽園・GALAPAGOSより

大阪のサントリーミュージアム〔天保山〕である一人の写真家の411点という膨大な数の作品が公開されています。その写真家の名はアンリ・カルティエ=ブレッソン 20世紀を代表する巨匠写真家、私の最も大好きな写真家の一人です。私が写真を撮る時なんか意識してるというか、なんというか。でも大巨匠を相手に大変失礼なことかもしれませんが、、、、
1950年代、彼の写真集「デサィシヴ・モーメント」を日本では「決定的瞬間」と約されました。この決定的瞬間とは何も事故や事件などドキュメンタリーのことを表したのではありません。彼の作品は、日常のあらゆるシーンをもライカのファインダーのなかで瞬間的に絶妙な構成がされ、その作品の中の人物や風景が私たちに語りかけてきます。これがブレッソン巨匠の「決定的瞬間」です。
私にとって彼の写真集は、バイブルと言っても言いすぎではないかも。残念ながら彼は2004年8月に享年94歳でお亡くなりになりました。お歳的には大往生ですが、新聞で訃報記事を見たときはかなりショックでした。あ〜あ、本当に伝説の写真家になっちゃったって。一度でいいからお会いしたかったです。
この写真展は4/16までやってますので是非ごらんあれ。なんか写真が撮りたいいい気持ちになれますよ。ブレッソンじゃなくて手ブレッソンぐらいにはなれるかも。

大亀京助
posted by フロイネッツ at 11:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月01日

写真家・清水哲朗

2005年社団法人日本写真家協会(JPS)が30歳までの〔新進写真家の発掘と活動を奨励する〕ために「名取洋之助写真賞」を設立。この賞の冠となった名取洋之助は日本におけるフォトジャーナリストの先駆者で23歳のころ留学先のヨーロッパからフォトルポルタージュを日本に導入した写真家でもあります。そんな彼にちなんでドキュメンタリーの世界で生きようとしている若者に焦点をあてた賞なのです。

その名誉ある写真賞、初代に選ばれたのが 清水哲朗君(東京在住)
マイナス30度を超える冬のモンゴルで寒さをしのぐため マンホールの中で生活している子供たちをクローズアップし取材したもので、モンゴルといえば雄大な土地で馬にまたがった騎馬民族が放牧している牛やヤギなどを追いかけまわすイメージしかなかった。彼の写真を見てかなりショックだった。ここに写っている過酷な生活をしている子供たちのあまりの自然な表情に、彼の人間の優しさが伺うことが出来る。「怖い目にも遭いそうでしたけど」と笑顔で語ってくれた。

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名取洋之助写真賞 清水哲朗 「路上少年」より

残念ながらこの写真展は3/2に終了するが、今年中には出版も。

大阪富士フォトサロン(マルビル3F)
2006年3月2日(15:00終了)まで

大亀京助
posted by フロイネッツ at 18:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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